INTERVIEW

MIT-VFJ オノラリーボード 長島 雅則 氏

今回のインタビューは、現オノラリーボードの長島雅則(ながしま・まさのり)氏にご登場いただきます。
長島氏はMIT-VFJ設立当初より監事や理事を歴任、またMIT-VFJ最大のシンパで、ビジネスプランニングクリニック&コンテスト(BPCC)やベンチャーメンタリングプログラム(VMP) における『長島賞』をはじめ、スポンサーとしてMIT-VFJの活動を永年にわたって支えてくださっています。
長島さん、いつもありがとうございます。今日はどうぞよろしくお願い致します。

MITに入学されるまでは、どのような子ども時代をお過ごしになりましたか?

長島

僕は団塊の世代の何もない時代に育ってきました。
僕の小中学校の時代には、勉強真面目にしていたと思います。
今のようにゲームとかそういう娯楽がなかったから。
やることを他に知らないから、勉強以外にすることが無かったようなかんじですね。
周りも一生懸命やってたので、自分も一生懸命やろうと思いました。そういう環境でしたね。

高校時代に、一生懸命勉強していると、文系か、理科系かに分類される。僕は理科系だなと。
そうなると、周りがみんな東大を目指していた。だから僕もと言う感じでした。
幸運にも東大に入ることができました。
入学後1,2か月したら、ストライクで授業は無し、そして、次の入学試験がなかったんですよね。
理科1類の教養学部を終えて、工学部の何を選ぼうか考えた時、その時に考え付いたのが建築か、原子力かのどちらかでした。
それで芸術と工学の組み合わさっている建築だろうなということで、建築に行き、そこで勉強していたら、コンピューターのCADに出会いました。
そこでコンピューターに興味を持ったんですが、日本ではなかなか触れないし、それでアメリカに行きました。

1つ言える事は、僕は生まれた環境に恵まれていたということです。
アメリカに行きたいって言ったら「行ってこい」と言うような家でした。

MIT在学時の思い出など、お聞かせいただけますか。

長島

MITへの入学が決まり渡米しました。
ところが、MITの建築学科に行ってみたら、コンピューターのコの字もないんですね。
製図室には木製の大きな製図板が置いてあり、東京大学と全く同じで、これでは日本から何しに来たのかと思いました。
少し後に、カリキュラムの本を見ると、ニコラス・ネグロポンテ先生という方がCADを教えているとわかりました。
この先生に会わなくてはと即思いました。
その先生は、アーキテクチャマシーングループという研究室をやっていて、そこではCADに関わる研究もやっていて、僕は、その小さな研究室でやっとCADに関わる勉強がでることになりました。。

その頃ミーティングがあり、いろいろな人が研究の発表をしていました。
私もそこで発表したのですけれど、英語が思うように操れず、うまく説明できなかったんです。
そこでこれはもうプログラムを作ってみせるしかないなと思いました。
夕方の6時から夜中の12時まで、毎日プログラムを組み込みました。

1975年の夏、あるカンファレンスをニコラス先生が催しました。
外部の人を集めて、ハードウェア・ソフトウェアに関わらず、いろいろな最新技術の講演会に行いました。
私は研究室に所属する学生だったので、すべての講演会に参加できました。
その中でイギリスのCADシステムのプレゼンテーションが心に強く残りました。
オックスフォード地方の保健省が病院や診療所の建築をやっていました。
効率よく多くの建物を作るために、プレハブ的な技術を駆使して設計し、その上、CADシステムを使って建物を設計していたのです。
東京大学の内田研究室でシステムズ・ビルディングを勉強し、MITでCADに関わる勉強をしていた私です。ほんとに私が理想としていたようなことが、イギリスではもう起こっているんだと知りました。
MITにいる時にそういうことに遭遇しました。

MITっていうのは正月休みはとても長くて、1月中はだいたい休みなんです。
その間は、independent activity period (IAP)。
それは何かというと、つまり自分で勉強しろっていうことです。
1976年の正月に、その期間を利用して、私はイギリスに行きたいなと思い、1週間ぐらい
オックスフォードの病院のシステムを見ました。
イギリスはその頃、他にも政府の機関などもCADを使い始めていたんです。
ニコラス先生がアレンジしてくれて、そういうところを3~4カ所、見に行くことができました。
ミーティングをちゃんとセットアップしてくれたんです。
そこに現れたのが、ケンブリッジで、CADの開発をしている責任者でした。
そこで、予定に入っていなかったのですが、CADを開発している会社をケンブリッジに訪れることに急遽予定を変更しました。そこでCADの開発現場を見学し感動的でした。
卒業したらケンブリッジの会社で働きたいなと思い、その会社に手紙を書いたんですが、全然ダメ。
6月初めに「卒業してお前どうする気だ?」とニコラス先生に聞かれました。
あの会社に手紙を書いたけど、返事が来なくて…という話をしたら、「じゃあ、私がお前を雇ってやろう」と言い、プロジェクトを作り、そこのテクニカルアシスタントとして雇ってもらうことになりました。
その期間も9月で終わり、その後どうするのかということになったとき、ニコラス先生から「お前は何がしたいんだ?」と聞かれ、「役に立つCADシステムを開発したい。」と答えました。
すると、先生は「それじゃMITにいるのではダメだ」と言うんです。

MITはできるかできないかということを研究する場所だ。できるとわかったら、それはもう民間の仕事でMITに残って研究することではない。お前がケンブリッジの会社に行きたいのなら、俺が連絡してやろう」と先生が言い、その結果、その会社に勤める事になり、10月の終わりごろにイギリスに渡りました。
父親はすごくびっくりしたようです。
要するに東京大学を出て、アメリカのMITに行って、やれやれと思っていたら、「イギリスに渡る」と聞いて。
その時イギリスは斜陽でした。そのイギリスに行って、なんだかわけのわからない小さな会社に勤める。
せっかくここまでうまくいいところまで行ったのに、わけのわからない変な会社に勤めて、ほんとに大丈夫なのかと思ったようです。
私はもう自分の理想とするようなことが本当に起こっているんだと思っていましたので、親がそんなことを心配しているなんて思ってもみませんでした。
そしてそのケンブリッジの小さな会社で5年間働きました。
システムの開発を中心に、いろいろな事をやらせてもらいました。今考えると本当に楽しい経験をいたしました。

MIT-VFJの活動に参加されることになった経緯をお聞かせください。

長島

MITを卒業し、英国の生活を終えた後、日本で同窓会がありました。
それに顔を出したのですが、そこでMITエンタープライズフォーラムに出会いました。
MITの卒業生で作られている組織です。
全世界的に、同窓会と似たような組織を作っていて、要するに、MITに関連する事業をアクティブに活性化するというものです。
日本にも日本MITエンタープライズフォーラムがあり、興味があり参加しました。
活動は講演会が主でした。
MITを卒業し、日本で活躍しているいろいろなおもしろい人に喋ってもらいました。

現在はMITエンタープライズフォーラムは解散していますが、活動の一部が日本MITベンチャーフォーラム(MIT-VFJ)に継承されています。
それがMIT-VFJとのご縁の始まりです。

ベンチャーメンタリングプログラム(VMP)の「長島賞」創設のきっかけと、賞への思い、長島賞贈賞の基準などをお聞かせいただけますか。

長島

この賞が設立されると聞いた時は、天から湧いてきたような話で「えー?」という感じでした。
そんなのあっていいのという感じでしたね。
受賞者の方が、自分のやろうと思ったことを、少しでも早くできるようになる、そんな力になれたら…と思います。

贈賞の基準は、この2つです。
本気度。それが伝わってくること。
本質度。本質を見ているか

そこを基準に見ています。

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MIT-VFJの活動に対する今までの感想や今後への期待をお聞かせください。
(BPCCからVMPに移行していった流れに対する感想など)

長島

興味深い方たちが集まってきています。
もっともっとアドバイスして、活躍していってほしいと願っています。
いろいろな人にMIT-VFJをもっと活用してもらいたいですね。

現在MIT-VFJの活動に不足していると思われる点。それを改善して行くために必要と思われることは?

長島

周知が足りないと思います。
もっと人が集まってきて、おもしろく勉強してもらいたいです。

現在、MIT-VFJ以外で最もご興味をお持ちの事はどのようなものでしょうか。

長島

「これから何が起きるのかな」というところに興味を持っています。
AIや光量子コンピューターなどの発達で、これから一体何が起きるかな?と思っています。
絶対に予想できない、想像を絶することが起きる。
我々の今の生活は、40年前には想像できないものです。
みんなコンピューター(スマートフォン)を持って歩いているじゃないですか。
40年前には、そんなこと、誰も想像しなかった。

本質を見極めるということについては、こんな話があります。
僕が日本に帰ってきた1981年以降、ニコラスは何度も日本に来て、夕食を一緒に食べました。
その時に「今日はどこに行ってきたの?」と聞いたら、「NHKの研究所に行ってきた」と言っていました。
そして「テレビと電話が逆さまになる」と言ったんです。
そのころはまだ携帯電話もなかった頃です。
今は本当ににそうなった。
また、ニコラスは1975年に、学生だった僕たちに向けて、「これから情報はデジタルになる」と言いました。
今、そうなってますよね。

コンピュータサイエンスは、自然科学の中の1つです。
自然科学の中には物理、数学、生物医学、いろいろありますね。
だけど、ニコラスは、「コンピュータサイエンスはそれらとは全く違いますよ」と言っていました。
「なんで?」と思いました。

数学や物理などは、真実を追求するもの。
コンピュータサイエンスというのはいくら極めても真実は分かりません。
では、コンピュータサイエンスは何を極めるものなのか。
それはアクション。
データを動かすこと、それが使命。それを追求する。

ですからコンピュータが繋がっていることが不可欠なのです。
ニコラスは、そういった本質を教えてくれました。

起業家へのメッセージ、VMPに応募する人へのメッセージをお願いします。

長島

何かを知りたいという興味を持ち続けること。
興味を持った時に「これは何かな? こういうものなのかな? こういうものなのだったらこれは世の中が変わるよな!」……そういった、世の中が変わるという視点で興味を持ち続けてほしいと思います。

長島雅則(ながしま まさのり)  プロフィール

1949年東京都生まれ。
1972年東京大学工学部建築学科卒、74年東京大学大学院工学部建築学科修士課程修了。
76年米国マサチューセッツ工科大学大学院修士課程修了。
同年、英国アプライド・リサーチ・オブ・ケンプリッジ社に入社。
81年 退職後、帰国。
81年エイ・アール・シー・ヤマギワ株式会社(現 株式会 社インフォマティクス)設立、代表取締役社長、会長を務める。
2020年より株式会社インフォマティクス ファウンダー。

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