INTERVIEW

MIT-VFJ メンター 磯谷 篤志 氏

MIT-VFJは2001年〜2020年までビジネスプランコンテスト&クリニック(BPCC)を開催してきました。MIT-VFJ認定メンター*が応募者に徹底したメンタリング・アバイスを行い、事業計画の見直しやブラッシュアップを行うプログラムで、2021年からはベンチャーメンタリングプログラム(VMP)と名称を改め、より一層メンタリングに重点を置いたプログラムに変更され、起業家支援を続けております。
* MIT-VFJ役員はもちろん、認定メンターも全てプロボノ(ボランティア)メンバーで成り立っています。

今回は、MIT-VFJでBPCC並びにVMPで、ご自身もボランティアとして長年メンターをつとめていただいている磯谷篤志(いそたに・あつし)さんにお話を伺います。磯谷さん、どうぞよろしくお願い致します。

まず、磯谷さんのご経歴やお仕事など、簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか?
また、MIT-VFJでメンターになられたきっかけは?

磯谷

田舎育ちで星が綺麗に見えましたので、小学生の頃は天体観測が好きで、天文学者になりたいと思っていました。
そこから始まり、とにかくデカい宇宙とか、とにかく小さい方でのクウォークとか量子力学に興味を持ちました。
そして、量子化学と量子力学の違いも分からず、量子化学でノーベル賞をとった福井謙一さんに憧れて、京大工学部石油化学科に進みました。
石油化学科という事で卒業後は三菱化成(当時)に入社し、化学工学のエンジニアとして、生産技術分野でのキャリアを積みました。

当時、化学工学のシミュレーションソフトのベンダー、AspenTechJapanの社長としてMIT-VFJ前理事長の(故)鈴木啓明さんが営業に来ておられ、懇意にしていただきました。

一方で、子供の頃にNHKの人形劇三国志を見て諸葛亮孔明に憧れて、高校くらいから兵法書を読み漁るようになりました。
孫子、六韜三略、論語などです。
そうした本があるのがビジネス書の棚なので、ビジネス書の欄に頻繁に行くようになって、ビジネス戦略や起業に興味を持つようになっていました。

1997年から1998年MITにChemicalEngineeringDept.に業務として研究留学しています。当時50KというビジネスプランコンテストがMITであり、面白いと思っていました。

帰国後、しばらくして、MIT-VFJ理事の(故)本橋さんが関西地区でOBIIというアイデアソンの活動しておられ、それに参加していました。
また、他のイベントにも参加しており、その一つでMIT-VFJ理事の大野さんにお会いし、お誘い頂いて、メンターとして参加させていただくようになりました。
いろいろな方向から、ここに繋がってきたという感じです。

本来は、僕自身が起業したかったのですが、残念ながらネタが見つからず、今に至ってます。
メンティーの皆さんがどのように考えているかなど、勉強になります。
元々は兵法から始まってはいるのですけど、起業には興味があったので、自分でいろいろ勉強した事を、皆さんのために活かせるのだったらと思い、楽しくやっています。

当初、MIT-VFJビジネスプランコンテスト&クリニック (BPCC)のメンタリングという制度に対し、どのようなイメージを持たれましたか?

磯谷

当初は、よく分かっていなかったというのが、正直なところです。
最初は、三菱総合研究所の内海さん(※1)という方と組ませていだたきました。
状況が分かっていなかったという事もあり、他の方と組んでメンタリングができた事は良かったと思います。
MIT-VFJについては、当初は固いというか、重いというか…そういう組織だと思っていました。
メンタリングの合宿(※2)などを何回か行ううちに、もうちょっとくだけた感じでいいんだと感じました。(笑)

(※1)2001年〜2003年まで、MIT-VFJは三菱総合研究所と組んでBPCCを開催していた。
(※2)合宿とは、メンタリング開始後一か月頃を目処に、一次審査を通過したファイナリスト候補、メンター、事務局が、東京を離れた場所に1泊し、”同じ釜の飯を食い”ながら、議論やメンタリングを重ねてビジネスプランをブラッシュアップするイベント。土曜日の午後からメンタリングを開始し、日曜日の午前中にその成果を発表する。

今までに何チームくらいご担当をいただいていますか?

磯谷
かれこれ10年以上やっていますので、確か11件か12件です。

最初にご担当いただいたチームはどんなビジネスでしたでしょうか? そのビジネスに対する感想は? 簡単にお聞かせください。

磯谷

最初に担当したメンティーのテーマは「鶏の再生」で、卵を産み終わった鶏に、もう一度餌をやって鶏肉にするというものでした。
僕は会社員としてやっていて、自分の会社と競合したら自分の意見が言えなくなってしまうので、敢えて自分の会社とは関係のないところばかりを希望してました。
自分から見ると、分野としてはいつも新規のテーマになります。
ですので、僕は担当を持ってから、そのテーマに必要なものを勉強していました。

感想ですが、最初に限った事ではないのですが、メンティー(起業家)には、癖の強い方や、変わった方が多いんですよ。(笑)
でもそこが良いんです。ビジネスの感想ではありませんが。
会社の中にいると、そこにいる皆さんは、ある意味上品で頭がよく、めちゃめちゃレベルが高い。
良い意味で捉えて欲しいのですけれど、あるメンティーに対して「この人、野生だな」と思った事があったんです。
つまり、会社の中には優秀で頭の良い人がたくさんいますが、それは「動物園」のイメージなんです。
会社に居ると、いろいろ会社がお膳立てしてくれていて、機能としての仕事に集中できます。
ところが、あるメンティーさんは、そうした手続きも自分でやりながら事業をバリバリやっていた。
「一つ一つ見れば、レベルが高いって感じはしないけど生きる力が強い。野生だな」と感じました。
「外」で戦うには、それぐらいの気構えがないとダメなんだなと気付かされました。
また、環境が違う事で、優先される資質が違うのかなとも思いました。

磯谷さんのご専門からして、その時は、どのような、あるいはどの部分についてのメンタリングが必要と思われましたか?

磯谷

話が特定の人を指すのは、言い難いので、察してください。
ただ、メンタリングと一言で言っても、いろいろな人がいろいろな定義を持たれていると思います。
僕は相手に合わせるというところがあります。
メンティーが十分に知識を持たれている場合には、どちらかというとコーチング寄りにしています。
気づいてもらうようにしたり、別の見方を提案したり、考えてもらうようにしています。
最終発表を聞く人は大抵が素人ですから、素人目線で意見が言えれば良いと思っています。
メンティーがビジネスの知識に不安がある時は、コーチングではなくて、コンサルティング寄りに振ります。審査員と共通の言葉で話さないと伝わりませんから。

また、合宿に行くと参加者の皆さんのやり取りが聞けて、とてもおもしろいですよ。
ファイナリストとメンターが集まってチームごとに進行します。
1つの会議室で、全員がやっている時には、よそのグループを見に行く事ができます。
よそのグループの発表も含めて、こんな風に進捗してるんだ、こんな議論しているんだ、というのがわかる。
夕食の時は、ファイナリストとファイナリストのネットワーキングの機会でもあります。
その場が僕はすごく好きでした。

チームによるとは思いますが、メンタリングの手法や力の入れどころなど、長きにわたってメンタリングを担当される間に、磯谷さんご自身としての変化はありますか? あるとすればどんな風に変わりましたか?

磯谷

たくさんあります。
僕は、メンタリングを、元々は教科書通りにやっていたのですけれど、違和感がいろいろあったんです。
例えば、この時にはこれ、この時にはこれ、みたいに一問一答式でバラバラに考えているんです。
ところが途中で「これで辻褄が合っているのかな?」というような事をよく感じていました。
また、同じ事をしても、人によってすごく違いがあり、仕上がりが全然違う。
「これは何なのだろう?」と思う事がありました。

そういった違和感が、頭の中にゴチャっとあったんですが、メンタリングを何度もする中で、僕の中ですごく整理がついてきました。
最近、行動経済学とかいろいろ出てきて、ミッシングピースがだんだん埋まってきました。
それで、メンタリングで作った資料や、本とかセミナーなどで勉強した事を含めて、テクニック的なところ、考えているものを整理しているところで、それをまとめようと思っています。
自費出版できればと思ってます。

磯谷さんは、川島史子さん(第15回MIT-VFJビジネスプランコンテスト&クリニックスタートアップ部門ファイナリスト)のメンタリングも担当されましたね。

磯谷

川島さんは本当に大物になりましたね!
当時、川島さんはメンタリングを受けながら、新しいビジネスを構築していました。
最初は、医療事務の資格認定がテーマでした。
1回目の顔合わせの時に川島さんとお話をして、すごく失礼ながら「すみません。全然お金の匂いがしません」と第一声で言ってしまいました。
それに川島さんが「よく言われます」とお答えされて。
で、「賞狙いですか、ビジネスプランのブラッシュアップを重点にしますか」と聞くと、「ブラッシュアップ」と言われたので、どこに持ち味や強みがあって、どういう風に考えられているのかなどを、メールやメンタリングでやりとりをしました。
その中で、今のビジネスのベースができ上がっていったんです。
それが最終発表の前には、もう会社を作られていたので、あれにはびっくりしました。なんというスピードかと!

その後、DBJの女性ビジネスプランコンペティション(※3)で大賞を獲られて、2度ビックリです。
受賞後のメンタリングも担当させて貰って、組織論を改めて考える機会になりました。
事業プランを大きく変えて、しかも成功された。
僕の中でも、とても印象的なメンタリングでした。

I川島史子さんインタビュー

(※3)日本政策投資銀行の第6回DBJ女性新ビジネスプランコンペティション

MIT-VFJ以外でメンタリングはされていますか? されているとしたら、MIT-VFJにおけるメンタリングは、他と違いますか? 違うとすれば、どんな点でしょうか?

磯谷

MIT-VFJからの委託で秋田にかほ市、山梨県都留市で開催されているビジネスプランコンテスト(※4)でもメンタリングを担当しています。
僕の基本的なスタンスは同じです。「事業の成功のためにどうするか」です。

(※4)山梨県都留市の生涯活躍のまちビジネスプランコンテストと、秋田県にかほ市のHatch!ビジネスプランコンテスト

MIT-VFJのビジネスプランコンテスト&クリニック(BPCC)は、MIT-VFJ認定メンターが徹底したメンタリング・アドバイスを行い、事業計画の見直しやブラッシュアップを経て最終審査発表会に至るコンテスト形式のプログラムです。
2001年〜2020年まで開催され、2021年からはベンチャーメンタリングプログラム(VMP)と名称を改め、より一層メンタリングに重点を置いたプログラムに変更されています。
BPCCなどのコンテストなら優勝というゴールを目指すと思いますが、優勝という制度を取らなくなったVMPの場合、磯谷さんが目指すゴールは何でしょうか?

磯谷

実は僕としては、ゴールは変わっていません。
BPCCの時からなんですけど、川島さんの時もそうですが、僕がメインメンターの時は、メンティーに「事業を少しでもブラッシュアップする方をメインで考えますか?それともコンテストで優勝する方をメインで考えますか?」というかなり早い段階で質問をしてきました。
もし「優勝の方を狙う」と言われた方がいたら、時間を区切って、「ここからここはブラッシュアップで、ここからここはプレゼンで…」とういう風にやろうと思っていたんですけれども、不思議な事に、ブラッシュアップの方を望まれる方がほとんどでした。
なので、結果的に、もともと優勝する事が目標にはなっていませんでした。
僕のモチベーションというのもあるんですけど、やっぱり自分が関わった方には笑顔になってほしい。
つまり成功してほしいので、やっぱりそっちの方が必死になっちゃいます。
「それやっちゃダメでしょ」とか「ここはこうした方が良いでしょう」とか、自分が元々起業したかったというのもありましたので、「自分がやるんだったら絶対こうするよな」というところでお話をしています。

2020年まではBPCC、2021からはVMPがスタートした訳ですが、メンターの磯谷さんから見て、制度上、不足していると思われる点があればお聞かせください。

磯谷

僕は不安に感じた事はほとんどないです。
話をするにしても、かなり自由にさせてもらっていて、あまり不満を感じた事はないです。
MIT-VFJでは、ファイナリスト1組あたりに2~3人が付きます。
メンターとして負担が分散するという面もあります。
それで、バックグラウンドが違う人が組む事も少なくありません。
バックグラウンドの違いや性格の違いから、メンター間で意見が割れる事もありますけど、僕はそれで良いと思ってます。
いろんな角度・視点からその事業を見る事ができますし、結局のところ最終判断はファイナリストがしないといけませんから。
でも、メンターの意見が一致して反対している時は、よく考えた方が良いでしょうね。

それと、BPCCの良かったところは、審査用の発表と公開用の発表が分かれていたところですね。
審査用の方はコアになるところを扱っても、秘密保持で守られているから大丈夫。
だから、審査用は「がっちりアピールしに行こうね」というように作ってもらいます。
公開向けの方は、競合が出てきた時に、ビジネスのコアになるところを見られてしまうから、むしろ「自分たちの狙いとするところ…投資して欲しいのか、提携して欲しいのか、お客さんとして見て欲しいのか、お客さんになって欲しいのか…そういったところをアピールするように作りましょう」というようにしていました。

しかし、よくあるビジネスコンテストでは、その辺りがあやふやで、言っちゃいけない事を言ってしまっていないかと思う事があります。
会社の中でも社外秘みたいなものがあって、仕事の事は電車の中でも喋ってしまってはいけないし、エレベーターの中でも外のお客様がいる可能性があるので喋る事ができません。
会議室の外で秘密事項は喋らない、というのが本来のスタイルとしてあるべきです。
ビジネスコンテストはオープンの場です。
そういった(オープンな)ところで言ってはいけない事は、やはりコンテストの場でも言ってはいけないんですよ。
他のビジネスコンテストでは、その辺りの切り分けがちゃんとできているのかなと不安になる事があります。
山梨のビジネスコンテストの時に「ここのところを言わないと評価してもらえないんだけど、これを言ってしまうと良くないよね…という場合はどうしましょう」と事務局に相談しました。
賞を取るためには全部広げて「どうだ凄いだろ」と本当は言いたいんですよね。それで事業が負けてしまったら元も子もない。

そういう意味では、VMPもコロナ禍で、オンライン公開だけになったので、エグゼクティブサマリで対応してましたけど、審査員との質疑がオープンなのが微妙ですね。
審査員の皆さんには良く理解して頂いてますが、オープンゆえの制約ですね。

これからVMPに応募される方へ、メンターとしてアドバイスなどあれば、お聞かせください。

磯谷

メンタリングで気を付けている事は、やりたい事・実現したい事を外さない事。思いを大事にする事です。
僕が担当するなら、メンティーに合わせますので、とにかく、「こういう事を実現したいんだ」「こういう事をやりたくて、ここまでできてます」というのがあれば良いかなと思います。

ご縁のあった方には笑顔でいて欲しいと思ってます。
メンタリングや壁打ちは楽しい方が良いのですが、メンタリングは楽しくても、事業で失敗して泣くことになったら嫌ですよね。
成功して笑顔になって欲しいので、厳しい事も言います。そこは覚悟してくださいね。
とにかく、熱い思いを持って、何を言われても折れない心を持ってきてください。
それと、ビジネスのブラッシュアップというだけでなく、ネットワーキングや最終発表を通じた宣伝など、上手く利用すれば良いと思います。

磯谷さんご自身は今後どういう活動をお考えですか?

磯谷

まだ考えているだけですが、まずは先ほどお話しした出版を目標に考えています。
そして、それを使った形での事業ができないかと考えています。
ただ、ビジネスってある種のギャンブルですよね。
うまくいくかどうかわかりませんが、何らかの形でチャレンジしていきたいなと思っています。

磯谷 篤志 プロフィール

<略歴>
1992年三菱化成株式会社(現・三菱ケミカル株式会社)に入社。1997年・1998年に米国MITにケミカルエンジニアとして研究留学。コンピューターを用いたシミュレーションや解析を得意とする。実験室レベルの基礎検討およびそのデータを用いたパイロットプラントの設計・運転指示、実働の製造プラントの解析・最適化、パイロットプラントの運転統括など担当。バイオ由来の化学製品を作る特許で令和2年度全国発明表彰を受賞。2022年12月末にて早期退職。
一方で、学生時代から起業に興味を持ち、各種イベントに参加。2010年からNPO法人日本MITエンタープライズフォーラム(現・日本MITベンチャーフォーラム)主催のビジネスプランコンテストにメンターとして継続的に参加。他に山梨県都留市の生涯活躍のまちビジネスプランコンテスト、秋田県にかほ市のHatch!ビジネスプランコンテストにてメンターとして参加。

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